本文へスキップ

福岡市のかみ合わせ治療専門の顎関節症クリニックです。

電話でのご予約はTEL.092-841-6480

〒841-0032 福岡市早良区小田部1-29-48

患者さんの手記

「線維筋痛症との闘いの日々」  (20代 女性)




《発症》
私が この病に襲われたのは平成22年の1月29日です。その前日に左頚部の痛みがあり、翌日高熱(39.5度)で仕事を休み、色々な内科に行きましたが、インフルエンザを疑われ、リレンザやカロナール等の解熱剤を処方して頂いたのですが、全身がものすごく痛くて、(もしかして線維筋痛症ではないか?)と思いました。以前テレビのアナウンサーがこの病気で亡くなっていたためです。その時は(私も万が一この病気になったらどうしようか)と思っていました。
青天の霹靂とはこういう事です。

あまりの激痛で、何も出来ないため茨城の実家から母が駆けつけてくれました(当時、私は都内で看護師をしていました)
病名はだいたい解るけど、何とかこの激痛は消えないのかな…と思い、母が救急車を呼んでくれて、大学病院で検査をしましたが、若い医師から言われたのは、「筋炎ですね。痛み止めの座薬を入れておきますので、1週間くらいで良く治るから大丈夫!」でした。

(あのー、座薬効きませんが…。だいたい病名も間違っているのでは?)と思い、何度目かの受診で、線維筋痛症と解りましたが、私はその間(2月8日)に水戸の専門の病院で線維筋痛症と診断を確定されていました。

痛みについてですが、泣き叫んでいないと頭がおかしくなるくらいの激痛で、全身に痛みが走りました。特に手のひらは熱い鉄板に押し付けたような痛みで、手が赤くなっていないかと何度も手のひらを見ましたが、普段の手のひらでした。足の裏は、剣山が刺さっている、もしくは包丁で刺されているのでは?という激痛です。

元来気の弱い私は、何度も自宅マンションから飛び降りようとしましたが、母に引きとめられました。それ程の苦しみ、痛みです。睡眠や食事なんて全く摂ることができませんでした。体重は3日で7キロ痩せました。

4度ほど、激痛に耐えられず(何とかしてください…)との強い思いと半ば日本の医療の限界というものに失望の念も抱きつつ、大学病院に運ばれ、毎回リボトリールやガバペン、ノイロトロピンを処方されましたが、全く効きませんでした。

母は(今すぐにでも娘をどうにかしてほしい!)と線維筋痛症と解った時点で様々な病院に問い合わせをしましたが、最短で3ヶ月待ちで、痛みで苦しんでいる中でも日本の医療の遅れに怒りを感じました。
水戸の病院は幸い、いつでも診てくださったので、ノイロトロピンの注射を週に1回くらい注射してもらっていましたが、しばらくしか効かずもう毎日が痛みとの闘いでした。こたつに入るのも怖くて(家族の足が触れると痛みが来そうなため) ほとんど電気毛布の布団にもぐっていました。

入浴も自分で済ませることは困難で、家族が交代で身体を洗ってくれました。お湯に浸かるのは、気持ち良かったのですが浴槽から足底で着地する瞬間に激痛が走るため、次第に浴槽にも入らず、家族に洗ってもらってシャワーの粒の刺激がとてつもなく痛いので、お湯をかけてもらっていました。

足底をつけるのが痛すぎて無理なため、基本的にトイレ等への移動はハイハイ歩きでした。一番厄介なのは立つ時です。素足は痛いので一番クッション性のあるナースが履くスニーカーを履いていました。寝る時もスニーカーでした。ある日は立つのももう激痛なため、家族に、ポリ尿器という寝たきりの方が、用を足すものを買ってきてもらいましたが、やはり私にも羞恥心があって出来ませんでした。あの時辛かったのは、やはりトイレの際の立位でした。

とにかく辛い日々。幸せな時間は寝ている時間だけでした。
その中で、希望の光が見えたように、東京で一番有名なAという線維筋痛症を診てくださる病院から電話があり(3月9日)急遽、地下鉄で行きました。担当の医師からは「若いから絶対治る!」と言われ、入院して自分に合う薬を見つけることになりました。

4月5日に大学病院の精神科に入院しました。線維筋痛症って精神疾患ではないのに痛みを抑えるためには抗うつ剤などしか効かないのですよね。私は精神科で看護師をしていましたから、この薬がどういう副作用があるということなど無駄に知識があるので結構きつかったです。特にリスパダールという薬が私の痛みに効いたのですが、この薬は暴れてしまう患者さんを鎮静させる薬で、呂律が回らなかったり手が震えたりするため、恐る恐る飲んでいましたが、案の定呂律は回らず、手は震えてしまい結構副作用が厳しい薬ばかりでした。

しかし、大学病院の看護師さんや担当の医師がとても優しい方ばかりでしたので、何とか退屈で辛い入院生活を送りきることができました。約1週間で自分に合う薬が見つかり退院しましたが、その薬の量が半端なくて8種類の薬を1日3回も飲まなくてはいけなかったのです。

その副作用はすさまじく、呂律不良、手の震え、しびれ、口渇、日中の眠気等でした。夜は不眠もひどく、とてもしんどい思いをしていました。「今」のことも考えられず、もちろん「未来」などないと思っていました。もう二度と普通の生活は送ることなど出来ない。看護師になんてもう復活出来ないだろうと思っていました。

《やまだ歯科と出会って》 ~初診5月25日〜
私が万年床の中、PCを全く知らない母が、インターネットで、やまだ歯科を探してきてくれ、「この治療だったら、薬も飲まなくて良いし将来出産も出来るかもしれないよ。場所は福岡だから通院はきついかもしれないけど、騙されたと思って行ってみない?」と言ってきたのです。

私は正直、薬以外の方法でこの痛みが消えるはずなんて無いと思っていたので、しばらくは渋っていましたが、昨年の5月25日に受診することになり、母と一緒に福岡まで行きました。私は、飛行機が怖い人間でしたが、その時は痛みが激しすぎて飛行機の怖さなど全く感じませんでした。
初診では痛みの箇所やトリガーポイントを触られたり、山田先生からの問いかけに対しても「はい…」と蚊の鳴く声でしか返答が出来ませんでした。表情も苦痛に満ちていただろうと思います。問診票も手が震えて書けなかったため、母に代筆してもらいました。

当初は茨城から通うつもりでしたが、両親の実家が佐賀県で茨城から通うよりは断然近いため、祖父母の家に面倒を見てもらう事になり、通院は父のお姉さんと弟さんが隔週で、福岡まで1時間半かけて通院に付き添ってくださいました。

《なかなか理解されない痛み》
祖父母は、私の痛みを理解してくれ、祖母は「まだ若いのに可哀想に。ばあちゃんがその痛みを変わってやりたいよ。好きなだけ叫んでいいから。」と言ってくれいつも優しい笑顔で私を励ましてくれました。最愛の祖父は、マッサージをしてくれたり好きなものを買ってくれました。そして、痛みを共感してくれました。「辛かね、今はすごく痛くて辛いでしょうが、必ずじいちゃんは治ると思うばってん、乗り越えよう」と。この文を書いている時点でも祖父の存在に改めて感謝しています。父のお姉さん夫婦も、痛みを理解してくださり、映画に誘ってくれたり「いつでも泊まりに来てね」と言って下さり、本当に温かい方々で救われました。

しかし、中には人の苦しみを何とも思わないばかりか、快く思わない人もいました。私が「痛い」と言う叫び声を「またお経が始まった」と言う人もいました。痛みで体を起こす事が出来ず、終日寝ている私に「たまには洗濯物くらいたたんで欲しい」と言う人もいました。けれども、私は、解らない人には何を言っても無駄だと諦めるようになりました。

《梅雨時期》
梅雨はもう、本当に頭がおかしくなるくらいの激痛との闘いでした。足の裏がものすごく痛い、手も動かせない。もう毎日が地獄で泣いてばかりいました。昼間は皆が起きている時間帯なため、いくら叫んでも良かったのですが、夜中は叫びたくても叫べずにいて、一人で音楽を聴きながら夜が明けるのを待っていました。睡眠薬も5種類ほど強めの薬を飲んでいましたが、痛みが勝ってしまって、(痛い痛い…寝れるはずないよ)と毎晩考えていました。日中は(車に突っ込んで死んじゃおうかな)とかそんなネガティブな思考ばかり浮かんでいました。

《夏季》
相変わらずの痛みですが、朝早く起きてウオ―キングに出かけたり、祖父のアトリエに行ったりして、日中は割りと前向きに過ごすことが出来ました。ちょうど、お盆の時期で両親が佐賀まで来て、父が足のマッサージをしてくれたりして(早く毎日家族に会いたいなあ)と思う毎日でした。この頃から2週間に1回通院することになりました。体重は病気になる前は、少しぽっちゃりめの52キロだったのが32キロまで減ってしまい、もう拒食症レベルでした。祖母が作ってくれたおいしいうどんやお粥さえも吐いてしまうくらいで、(いっそのこと拒食症で死んでしまえ)と投げやりになっていました。その頃の日記にも「拒食症で骸骨になって死にたい。棺桶軽いんだろうな…」とか書いてありました。

《秋季》
誕生日が10月12日だったため、一度茨城に帰って家族と過ごしたり、浜崎あゆみのライブに行って楽しみました。その頃お付き合いをしていた男性と新宿で待ち合わせをして、スカートを買ってもらったのですが、私のあまりの細さに店内にいたまわりの女性6人くらいの人は私の体型に引いていたそうです。杖もついていましたしね。でも好きでこうなった訳ではないのに、そういう目で見られてしまうって結構ショックでした。ちなみに、新薬のリリカは全く私には効果がなく、絶望を感じました。

《福岡に戻って》
また治療を開始しました。痛みは徐々に減っていることなどを先生にお話ししました。ちょうどその頃、私がお世話になっている家でのストレスから私は膵炎、胃潰瘍に罹り、常に胃液を吐いてしまう状況で、カリウム不足になり毎日5時間かけてカリウムの点滴を受けており、(この家にいたら生きていけない)と思い、実家に帰って5週間に1日福岡まで通うことになりました。

茨城の実家に戻ると、嘘のように胃液の逆流がなくなり、揚げ物以外は食べることが出来るようになりました。しかし、体重はなかなか戻らず悔しかったです。ご飯は大さじ1杯で満腹になるため、太るはずがなく、「エンシュアリキッド」という高カロリーな栄養満載のドリンクを飲む羽目になり、とても不味くて気持ち悪かったです。それでも、何とかエンシュアと苦手な甘いものを我慢して食べて、1ヶ月で7キロ増やしましたが、それでも、周りの友人には「病的な細さ」と言われてしまいました。激痛から回復した私は(相撲取りがモデル体型に僻むなよ)と心の中で毒付いていました。

《現在》
平成23年9月6日に山田先生から、「痛みがきたらまた連絡ください。今の筋肉や体型、表情を見ていると今にも働きそうだもんね。一時期は足がすごく細かったからね。この病気はそれ自体で亡くなることはないのですが、消耗死する方もいるので本当に心配でした。本当に良かったですね。」と仰って下さり、現在は体重が47キロもあり(笑)私はダイエットしたいですが、ダイエットは怖いものなので特にしていません。しかし、腹式呼吸がダイエットにも痛みの緩和にも役立つとのことなので、三日坊主の私でも続けております。

山田先生と、受付の笑顔の素敵な2人の女性と出会えて本当に私は良かったと心から思っています。今は優しく素敵な彼も出来てとても幸せです。

現在、お薬は全く服用しておらず、雨の降る前日などは足が多少痛みますが首周りを冷やさずに出来るだけ防寒をし、規則正しい生活を送っています。そして、毎日1時間のウオーキングを母と行っています。家事は全て抜かりなくやっているつもりです。

今はまだ自信はありませんが、いつかは看護師として患者さんの人生に関わっていきたいと思っています。

人間、病気になると健康のありがたみがわかると言いますが、今の私がそうです。健康第一!笑顔も第一!諦めない心も第一です。

《線維筋痛症の皆さんへ》
今も激痛と闘って頑張っていらっしゃる方、決して諦めないで下さい。どんなに辛くて光が見えなくたって、いつか必ず光は見えます。「明けない夜はない」と祖父が言っていました。線維筋痛症で闘っている方はカウントされているだけで日本で200万人。モルヒネを打ちながら、お仕事をしていらっしゃる方がいると聞いて驚きました。

3月11日の震災で、自殺してしまった方は、東北3県だけで159人(5月)いるそうです。どんなに苦しくても、必ず希望はあります。
この世に生まれ、一生懸命に生きていて線維筋痛症という原因不明の病に罹ってしまい、本当に絶望だらけの人もいて当然です。
肉親や友人を津波で亡くされて、絶望の淵にいらっしゃる方、本当に辛いですね。けれども、亡くなった方は貴方が死ぬ事は望んでいないはずです。
日本の復興に向けて、一生懸命に生きましょう。

線維筋痛症で辛い方はまず、山田歯科へ行ってみて下さい。
やはり、薬漬けは良くないです。私は、最終的に8種類のお薬でも効かなくなりました。ここでの治療法は「スプリント」という歯で噛む装置を1日に3回噛むだけで良いのですから。私はこれで、絶望の淵から這い上がり、ようやく幸せになることが出来ました。

皆さん諦めないで下さい。
人間、命を捨てなければ何とでもなります!
この病気から回復して、病気になる以前よりも私は、強くなりました。
たくさんやりたいことも見つけました。まだまだ人生はこれからです。
これからも辛いことがあるでしょう。でも、私はもう以前のように、くよくよしないで前だけを向き、たった一つの命を輝くものにしていきたいと思います。

やまだ歯科の皆様、本当にありがとうございます。
また、痛みが出た際にはお世話になるかと思いますが、出来るだけそうならないように筋肉をつけます。
明後日は大好きな安室ちゃんのライブに母と行ってきます。


  山田先生へ

こんにちは。長い間とてもお世話になりました。母が福岡まで連れて来てくれ、様々な人のお陰で今とても幸せです。あの壮絶な痛みから解放されたのは、先生が開発したスプリントのお陰だと思っています。最初は半信半疑でした。(毎週通って、意味はあるのか?)と思いながら通っていました。しかし、今は気にならない程度の痛みなので、人生に希望を見出すことが出来ました。本当にありがとうございます。今は家で家事をしていますが、暖かくなる春頃には、日勤の看護師として働こうと考えています。

今までの人生は自分中心でしたが、これからは自分の生活も守りつつ、人様の役に立てたらいいなと思います。痛みは人を弱気にさせ、笑顔や食欲も何もかもを奪いますが、それを乗り越えた人は、自分にも他人にも優しくなれる強みが出来ると思います。先生が痛みで苦しんでいる方々に対して真剣に治療をなさっていることは本当に素晴らしいです。これからも、私の様に痛みから解放される方が増えるといいなと心から思います。
私は線維筋痛症という病気は憎いですが、何かと治療や原因、医療者への理解がないのが辛く自分でもいろいろ調べています。
また、何かあったらご連絡させて頂くかもしれません。
先生とご家族のご健康を心から願っています。


   受付の皆様へ

こんにちは。初めて山田歯科を訪れたときは、痛みでまともにご挨拶も出来ずにすみませんでした。
私を覚えてくださっていたら嬉しいです。いつも笑顔で綺麗な声で話しかけてくださり、本当にありがとうございます。同じ女性として、とても魅力的です。最初はずっと薬を服用していましたが、今は全く薬を飲んでいません。
とても素敵な男性とも知り合えたので、将来は子供を産んで育てたいと考えています。本当に皆様に感謝しています。これからもお体を大切にしてください。感謝の気持ちをどうしても伝えたかったのです。ありがとうございました。

                  



顎関節症クリニックやまだ歯科ビルダークリニック

〒814-0032
福岡市早良区小田部1-29-48
TEL&FAX 092-841-6480